設 立 趣 意 書


このたび、有志の方々の賛同を得て、国際京都学協会を設立することにいたしました。

万人がそれぞれの文化・文明を理解しあい、人間らしい生活を実現するために、京都市国際的にも注目すべき都市であり、京都学として総合的に学ぶべき地域です。

京都学は、ただ京都盆地を対象とするだけでなく、周辺地域・京都府下の丹波丹後をはじめ、南の大和・東の近江・北の若狭・西の摂河泉をも視野にとりこみ、畿内−関西のなかに占める位置を前提とした開かれた学会を目指しています。

京都は794年、平安京として王城の地となって以来、1200年余の歳月を経て、いまも住民の生活の場として存在しています。歴史の舞台として政治・経済の中枢的役割を果たしてきたばかりでなく、文化の中心として王朝文化の発信源でありつづけ、紫式部・定家・利休・光悦・光琳ら文芸・芸能のルーツを生んできました。学問の伝統は道真をはじめ、王朝文化・室町文化を経て近世の仁斎の儒学、梅岩の心学を生み、近代以降は京都学派とよばれる哲学者や、ノーベル賞受賞者を育てる学術都市となりました。

それを支えたのは町衆であり、町人・市民でした。維新直後に、自力で市内の小学校を建設し、琵琶湖疎水・発電所を実現した市民自身の力でした。

京都は多くの神社と古刹を有し、本山が集まっています。社寺には壮麗な建築と庭園があり、その技術も伝承されています。独自の手工業の伝統を継承し、西陣織・友禅染の技術になっています。京野菜と総称される都の地名を冠した野菜を支えているのは、山紫水明の自然であり、賀茂川・桂川に代表される豊かな水脈です。それが宇治茶と茶道・華道の家元を生み、伏見の銘酒を生んできました。三山二川を持つ自然と融合した文明の所産です。私たちはここに、比較文明論の視点に立つ京都学の構築を目指しています。

京都はとおく古代にも渡来人の開拓の事跡があり、もとより天皇・公家の居住したことも重要ですが、列島のほぼ中心に位置し、諸国からの人々の流入移動が都としての発展を可能にしました。それが町衆の文化を生んだのです。近代以降、東京へ政治の中心が移動しましたが、「日本文化のふるさと」という地位はのこり、織物・染物・陶器・家具・木工・金工の細工物・装飾品の技術と意匠は、全国各地に伝播し、各地の特産品のルーツとなっています。

このような歴史と伝統を持つ京都は、いわば日本文化・文明を代表する地域であり、海外からの研究者を招きよせています。京都学は世界の諸文明のなかで、日本文明の位置を確かめることにもなり、京都を称揚するばかりでなく、その文明を批判することは、日本文明の将来を占うためにも追求しなければならない課題です。

豊かな専門的な蓄積を生かして、総合的な京都学を建築することは、地域としての京都の諸問題を解明することにとどまらず、その将来にかけての長期的戦略を構想し実現するためにも、また日本列島全体のもらいにとっても重要です。ことに産官学の共働の必要性の叫ばれる今日、市民の知恵をも結集して、京都学の協会を設立することとしたいと考えています。

■目標
  1 総合と共働の視点 多様な専門分野の研究成果の蓄積を総合し、学会と産業界・行政との橋渡しをはかり、産官学の協力・共働によって、京都の現在・未来に貢献する。
  2 開かれた文明の視点 世界遺産でもある京都の文明を、地球的な視野においてとらえ、活性化をはかり、世界と交流する開かれた研究成果を生み出す。
  3 地域の視点
  京都住民の生活
産業・経済・技術・信仰・芸能・年中行事などを重視し、それらを現在から未来にむけて生かす方策を構想し、行政に提言・協力する。

これらの目標をとおして、自然環境・文化環境としての京都の地域特性に着目し、その持続をはかり、さらに新しい創造の契機をつくり、永遠の都市としての京都の建設のために、京都学に専門諸学の結集・構築を目指し、広く住民と協力する組織を設立したいと考えています。